1958年4月12日、指揮者と日劇ダンサーとの間に生まれる。
幼少期はピアノ、バイオリンなどの英才教育を受けて育つ。
が、いずれ興味を持ったのは女優業であった。
1976年、寺山修司作、演出による『中国の不思議な役人』で舞台デビュー。
以降、ATG映画や日活ロマンポルノ等に出演を重ね、個性派女優として活躍する。
亜湖プロデュース公演のポスター
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(寺山修司コメント)舌出し天使───亜湖
亜湖をじっと見つめていると
船酔いするような陶酔を感じる。
古いハリウッドのグラマースターのような優しさと、
上海の阿片窟の少女娼婦のようなすばしっこさ。
一閃するイメージのつばめ返し。
無限の可能性を秘めた亜湖が、
われらの仲間、怪才大野進と組んで
つくり出す幻想の舞台は、
凡百の劇を吹きとばす衝撃的なものになるに違いない。
1988年、俳優の大野進と結婚。
肉体の誤解か、美意識の誤解か、体重は30キロを切る。
翌年、強制入院。
退院後も頻繁な通院と大量の服薬を余儀なくされる。
同年、アトリエ「パロロ」設立。
以降、不定期にアトリエ公演を行う。
1994年、アトリエ閉鎖、活動停止。
1999年、薬の副作用から、自宅浴室にて、転倒。硬膜下血腫で手術。
右半身不随の後遺症が残り、杖をつく生活となる。
実際の生活における身体的、精神的辛苦は、想像を遥かに超えるものだった。
2001年、壮絶な痛みを原動力に、亜湖にしかできないパフォーマンスをやろうと発起し、「ホリゾン」公演をその再出発点とする。
同年、寺山修司の盟友、J・A・シーザー率いる「演劇実験室◎万有引力」に入団。
この身体でできる作品ならば、どんな思いをしても演じたいと願う。
同年、統合失調症を宣告される。
身体と精神に障害を抱え、なお強く、女優として生きることを決意する。
2007年、「演劇実験室◎万有引力」退団。
2009年10月 久々の舞台「タバコと水中毒」を成功させる。
2010年8月、亜湖 一人舞台「××× 咳三つ 〜メビウスの輪の端とはじっコ」を上演。